前回の記事で「対等とは何か?」について考えてみました。
その時に気づいたのですが、
あれ?大人と子どもが対等なんだったら大人もやりたいことをやったらいいんじゃないの?
確かにそれはそうなんです。でも、デモクラティックスクールではスタッフが子どもを自分から誘ったり、「これやってみない?」みたいに提案はしないんです。
子どもはスタッフを遊びに誘っていいのに?これって対等?
そう思われてもおかしくないので、今回はデモクラティックスクールでスタッフが活動提案しない理由について考察してみます。
フリースクールとの大きな違いの一つなので、それについて知りたい人も読んでみてください!
子どもの学びを阻害しない
デモクラティックスクールでスタッフが子どもに活動提案をしない理由はシンプル。
子どもの学びを阻害しないためです。
デモクラティックスクールには、「本来人間には自ら学ぶ力がそなわっている」という理念があります。
この理念から考えると、子どもがヒマそうにしているからと言って何か活動を用意したり提案したりする必要はないのです。
むしろそのような大人からの介入は子どもが学ぶことを妨げると考えています。
「もう!今やろうと思ってたのに!」とか「ほっといて!」って思ったことはだれしもあるのではないでしょうか。
そのような子どもの対応に代表されるように、ヒマしてたりゲームばかりしている時間も大事な子どもの時間です。
本当にサポートが必要な時は子どもから言ってきます。
そのような申し出がなくスタッフが気を回して提案することは、子どもを受け身にしたり、気乗りしない提案を断ることにプレッシャーを感じさせたりすることにつながると考えています。
また、自由と責任を学ぶという要素もあるかと思います。
スタッフが提案したことをやってみて、自分に合わなかったらスタッフのせいにしてしまう心も芽生えると思います。
そうではなく、何も強制されておらず、自分から選んだことだからこそ、責任を感じることができるのではないでしょうか。
その責任の重さから途中でプロジェクトを頓挫させるという選択もありです。それも学びです。
ヒマでつまらない時間を過ごしたとしたら、スタッフのせいにするのではなく、そういう学校を選んだ自分に責任を返していってほしいです。もちろん求められればサポートはしますが。
ヒマだからつまらないと思った時に、いつでも来ないでいいという選択肢があるところも、良さですね。
学びとは何か
このような説明をすると、ツッコミが入りそうです。
「子どもがヒマそうにしている時間はもったいなくないか?それだったら提示された選択肢から自分で選んで、楽しめることを見つける方が学びになるのではないか?」
この考え自体は否定しません。
でも、デモクラティックスクールと学びの定義に違いがありそうです。
このツッコミの方の言う学びとは「何かの能力を得ること」だと捉えることができます。
それがいわゆる学力であれ、非認知能力であれ、ヒマな時間がもったいないという考え方の根底には、学び=能力開発という考えがあるように感じます。
しかし、デモクラティックスクールが目指す学びとは、「自分で決めること」にあるのではないでしょうか。
こんなデータもあります。
<図:主観的幸福感を決定する要因の重要度 (標準化係数)>

出典:西村和雄・八木匡「幸福感と自己決定—日本における実証研究」2018年
これを見ると、幸福度に一番関係しているのは、「自己決定すること」なんです。
私は子どもたちが幸せに生きるサポートがしたいと思い、今の活動をしています。まさにそれがデモクラティックスクールの学びだと思って、この方針を選びました。
デモクラティックスクールでは自己決定をして、幸せに生きる方法を学んでいるのです。もちろんデータなので全員に当てはまるわけではないし、これも能力といえば能力かもしれませんが。
また「自分で決める」と言っても、与えられた選択肢から選ぶのでは枠が規定されてしまいます。
「本当にやりたいことを自分で決めるということは、自分で動き出すことだ」ということは知ってほしいという思いもあります。
あくまで個人の見解です
さて、ここまでデモクラティックスクールのスタッフという立場で、
「これがデモクラティックスクールの学びです!」
というような書き方をしてきましたが、
「いやいや、これはサドベリーの理念や原則ではなく、あなたの意見でしょ!」
と思われた教育関係者、ごめんなさい。
そうです。私はサドベリー教育の研究家でも専門家でもなく、イチ実践者ですので、これは私が読み取ったサドベリーの考え方です。
だからスタッフが活動を提案するようなデモクラティックスクールもあるし、それはそれで良いと思います。自由な選択、といいつつ、私たちは人間関係や環境で規定された世界を生きていて、無意識の内にそこから選んでいるようなところはありますし。
でもこれまで3年間自分のスクールで実践を重ねる中で、私自身はスタッフは提案せずに子どもに委ねるスタイルの方が良いと感じています。子どもが受け身にならない、自分で考えて決めて自分で責任を持つ、ということが大きいです。
そして、デモクラティックスクール・サドベリースクールは認定制度とかなく、どのスクールが名乗ってもよいということもスクールによって方針が統一されていない一因でしょう。
それが良さだし、形に縛られないスクールが生まれています。デモクラティックスクールとは民主主義の学校、つまり子どもが中心であれば形にこだわる必要はありません。
私のスクールであるひまわりも、方法論にこだわりすぎず、スタッフと子どもで自分たちにとって心地よいスクールを作っていきます。
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