少し前の記事ですが、絵本作家の五味太郎さんが対談の中でこんなことをおっしゃっていました。
「体験格差?そんな視点どこから出てくるの?」というのがこの記事のタイトルですが、対談の中で五味太郎さんがそうおっしゃっていました。
体験というのは自分自身の体が知ることであり、人にとやかく言われるものではない。格差というのは個性であるのに、その穴埋めをさせようとすることで産業化しようとしている。など・・・
続きの記事も含めて、読めば読むほど、面白い記事です!
私たちが何か違和感を感じていたことをうまく言葉にしてくれています。
そして、その対談相手であるおおたとしまささんのXを見ていたら、先日このような記事を出されたようです。
「格差をなくそう」という考え自体が競争社会を前提としており、純粋に困っているひとを助けたいという気持ちで必要な子どもたちに力を貸すべきだとおっしゃっています。
こちらのおおたとしまささんも体験格差について色々と思うことがあるようで、他の記事も書いたり、書籍も出版されておりました。
そんなこんなで、この記事では最近話題の言葉「体験格差」について考えてみたいと思います。
体験格差って何?
最近できた言葉なので、辞書的な定義はないようなので、ChatGPTさんに聞いてみました。
「体験格差」とは、子どもや大人が得られる 経験や体験の量や質に差が生じること を指します。
たとえば:
- 家庭の経済状況の差
・旅行や習い事、美術館やコンサートなどの文化的体験に触れる機会がある子と、そうでない子がいる。- 地域環境の差
・自然の中で遊べる地域と、遊ぶ場所が少なく体験が限られる地域。- 教育の選択肢の差
・オルタナティブ教育や探究学習に参加できる子と、受験勉強中心で自由な体験が少ない子。体験の違いは、
- 好奇心や創造力
- コミュニケーション能力
- 自己肯定感や将来の進路選択
などに影響を与えると考えられています。つまり「体験格差」とは、学力だけでなく 人生の可能性や成長の幅を左右する“見えにくい不平等” のことです。
うん、結論までつっこみすぎ(笑)
冒頭に書いてあるように(というか読んで字のごとく)「体験格差」とは、子ども時代に経験できることが一人一人差がある、ということですね。
だから習い事が多い子とそうでない子、自然体験豊かな子とそうでない子、みたいに差ができるということです。
そして、それが育まれる非認知能力の差になったり、大人になった時の豊かさの差につながる、という論調です。
果たして本当にそうなのでしょうか?
体験すればするほど良いわけではない
私が思っていることは冒頭の二人がおっしゃっていることとかなり近いです。
つまり、体験すればするほどよいとは限らない、一人一人それぞれの人生の中で違った体験をしている、ということです。
体験格差があってそれを埋めなきゃいけない、だとすると、またお金持ちの方が有利な戦いに放り込まれています。
そうではなく、他人がうらやましい体験をしていたとしても、自分がそれをしたいわけではないなら、自分は自分が体験していることを大事にしたらいいと思います。
本当にしたいことなら自分でなんとかしようと行動すべきです。だれかに助けを求めたり、安くできる方法を探したりしたらよいのです。
それでもやっぱりやりたいことができない環境にいる子どもには、その時初めて手助けをしたらよいと思うのです。
非認知能力についても同じことを思っていました。
それがある子を承認するのはいいけど、ない子にはその力をつけろってことなん?それって能力主義すぎん?と。
こういうのをハイパーメリトクラシーというらしいですね。なんか聞いたことある言葉。
それに、体験を人から与えられることで失っているものがあります。
それは主体性です。
「こんなキャンプがあって面白そうだから行ってみなよ」「水泳は習っといた方が役に立つんじゃない?」みたいに子どもにあれこれ与える状況が続くことで、親子ともに産業のお客さんになっていきます。
要するに、無理して体験させようとしても受け身な子を育てるだけなので、一人一人が置かれた環境の中で、その子自身の心が動く体験を大事にしていくことが良いと思っている、ということです。
デモクラティックスクールで目指すものと体験格差
冒頭に挙げた五味太郎さんとおおたとしまささんの対談の中で、五味太郎さんは体験についてこう言っています。
自分がガキのころに基本的に思った感覚っていうのは「ほっといてよ!」って感じ。
深い!と思いました。先回りして教えなくても、何かに驚くときは驚くし、自分の心や体が反応して知っていくのが体験だから、ということだと思います。
でも実はこれ、私がやっているデモクラティックスクールでも大事にしていることなんですよね。
子どもに先回りして何かを与えない、子ども自身が動き出すまで見守る、というように、ある意味子どもをほっとくことを大事にしています。
そして、先ほど述べたように、子ども自身が本当にやりたいことなら、まず自分でなんとかしようとしてほしいとも思います。
デモクラティックスクールはそういう意味でも動き出しやすい環境だと思います。
助けを求めればスタッフは応えるし、ミーティングで提案したら予算も使える。
五味太郎さん、おおたとしまささんとは良い教育談義が出来そうです(笑)
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