子どもが不登校になった時、学校の授業についていけない時、心配になる親御さんは多いと思います。
でも私は「学校の勉強は絶対にしなければいけないものではない」と考えています。
勉強なんていらない!とか、全員が学校の勉強は不必要!と思っているわけではありません。
医者や弁護士になりたい人は、医学部や法学部に行く必要があるでしょうし、勉強は必要です。
でも、起業家やプログラマーには学校の勉強はいるでしょうか?
学歴がなくても活躍している人はたくさんいると思います。
要するに、自分にとって勉強がいるかどうかを見極めることが大切で、「とりあえず勉強しとけば選択肢が広がる」的な考え方には異論を唱えたいということです。
私自身はまさに「勉強すれば将来の選択肢が広がる」と言われて育ってきましたが、それはあまりよかったとは考えていません。逆に選びくくなった選択肢もあったと思います。
「でも読み書き計算ができないと、どんな仕事をするにしても困るじゃないか!」という意見もあります。
それはその通り。市役所で申請書類を書けなかったら困るし、何か商売するときに計算ができないと大損します。
でもそれって学校の勉強で身に付くのか?どこまでの勉強が必要なのか?
その辺りも考えていきたいと思います。
理由①必要な力は学校の勉強で身に付くわけじゃない
学校で勉強ができたら、国語力・論理的思考力・英語力などの力が本当に付くのでしょうか。
だとしたら学校の勉強が出来た私はもっとあらゆることができないとおかしいです笑
実際には、文章を書くのは全然できなかったけど、教員としておたよりを書いたり、こうやってブログを書いたりして少しずつ慣れたし、論理的思考力も仕事をする中で考えたり、テーブルゲームとかで身に付いたところが大きいように感じます。
反対に学校での勉強で出来ても、使っていないとどんどんできなくなって、あんなに得意だった英語の能力も下がったし、理科的なことは学生時代全然できなかったのに、今は興味を持って勉強して身に付けています。
漢字は学校で習ったから書けるのかもしれません。継続的に書く機会があったことも大きいでしょうが。(漢字を書くことについてはサドベリー教育で育った人の後悔の話でたまに聞きます)
要するに実践的な学びをしていかないと、長期的に身に付かないと思います。プロジェクト型の学びが現在注目されていますが、私はそれはいいことだと思っています。
大学に入るための手段としてだけ勉強をするとしたら、子ども時代の12年間も勉強に費やす必要があるでしょうか。
理由②必要な力は自然と選んで身に付ける
本当に学校の勉強が必要かどうか。それは子ども自身に委ねればいいと思うのです。
もし必要なら学んでいくし、必要としていない力は学ぼうとしないのではないでしょうか。子どもがやりたいこと、目指したい方向にその力があれば子どもは身に付けようとします。
ただ、必要な力を身に付けたいと思っていても、子どもが頑張ることに踏み出せないことはあると思います。その場合は求めに応じて大人がサポートすればよいと思うのです。
やりたいことのために勉強が必要だとするならば、話し合って伝えることは大事だと思います。
デモクラティックスクールで言えば、大人は活動のサポートはするものの提案はしない。やりたいと思ったら子ども自身が動くしかない。
そういう環境なので、企画を提案したかったら企画書を書くことも関わる人を調整することも必要だし、予算を計算することも必要です。本当にやりたいことならそれは乗り越えなければいけないし、求められればスタッフはサポートします。
そうやってやりたいことと必要な力が結びついているので、実践的に体験的に学ぶことができます。
家庭によってはそういう機会を持つことが少ないので、機会を設けられるところはスクールに通うメリットかもしれません。
理由③勉強によって失われる力もある
ヒドゥンカリキュラムという言葉があります。学校のカリキュラムの中にはないことが意図せず身に付いてしまうことです。
例えば、学校で「勉強はしなければいけないもの」という価値観を植え付けられたとします。
そうすると、「勉強さえしとけばいい」「言われたことをちゃっとやってればそれでいい」といった態度が自然と身に付いてしまいます。勉強しない人は、努力ができない人みたいになります。
以前の記事でも書きましたが、勉強が出来るようになったはいいものの、その裏であまり好ましくない力が身に付いてしまうことがあります。
デモクラティックスクールでは、カリキュラムがなく、みんなが自由に過ごしていることで「自分の人生は自分で決めなければいけない」「みんなそれぞれ違っていい」ということをヒドゥンカリキュラムとして学んでいける場だと思います。
理由④勉強に向かうタイミングがある

私がスタッフをしているスクールでは最近勉強をしている姿をよく見ます。
中3の子たちが高校受験に向けて頑張っているんです。
私は応援しているものの、「えっ、高校行くの?!高卒認定合格すれば大学行けるで~」と、違う道の話もしています。それくらい私が仕向けたものではないということです。
しかし、私の言うことを聞かず(笑)、子どもたちは勉強をして高校に行くそうです。しかも通信制高校に行く場合、受験には学力は関係ないにも関わらずです。
つまりタイミングが来て必要性を感じたら、子どもは勉強をする、ということです。
そしてそうなった時の吸収力は、ただカリキュラムをこなしている時とは全然違います。
こんな本もあります。
だれしもがそうなれるという話ではありませんが、それまで学校の勉強をしていなくても本気になれば半年で高卒認定・大学合格までいけるということです。
この本の著者がおっしゃるには、ある程度年を重ねて経験を積んだ状態の方が勉強の理解が速かったとのことです。
理由⑤勉強が出来たら安心というわけではない
「勉強が出来て能力を身に付ければ幸せに生きていける」というわけではありませんです。
確かにお金を稼ぐ手段は増えるかもしれないけど、それが幸せになる必要条件ではありません。
東大京大を出ても、幸せに生きられない人もいます。
私たちは幸せになるために生きています。
勉強は幸せになるための一つの手段に過ぎないと思います。
だから根本的に大切なのは「何が君の幸せ?」を知ることです。
将来のために必要性もよく理解できていない勉強を頑張らせることではなく、小さい頃から今を自分を大事に生きていくことが幸せへの道だと考えています。
自分に必要なのは何か、本当にやりたいことは何か、を見極める
なんだか挑戦的な内容になってしまいました…
でも、学校の勉強を否定するわけではなく、「絶対に勉強はしなきゃいけない!」という価値観は否定したいだけです。
自ら進んで行う勉強は全力で応援するし、サポートもします。そういう姿は見ていても清々しいです。
自分で決めることが大事。本当にやりたいことがあって、そこに向かって努力する。結果的にそれがうまくいかないことはたくさんありますが、その過程で学ぶことは多いと思います。チャレンジして失敗して思うようにいかないことになっても、納得感が違います。
他の人が見てどう思うかの人生ではなく、自分自身が納得感のある人生を子どもには送ってほしいですね(^^)
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